徴兵制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徴兵制度(ちょうへいせいど)とは国家が国民に兵役に服する義務を課す制度である。徴兵制とも言い、国民国家や国民皆兵の思想とかかわりが深い。自分の意思で兵士になった人を志願兵ないし義勇兵と言うのに対して、徴兵制度によって自分の意思によらず兵士になった人を徴集兵とよぶ。また応召兵(召集令状に応じて指定地に行く兵)や徴募兵(つのり集めた兵-正しくは志願兵のことで徴集兵をさすのは誤用-)、徴用兵(呼び出され用いられる兵)なども表現の文脈でしばしば使用される。
目次 |
[編集] 概要
徴兵とは国民に兵役の義務を課す事であり、徴兵制度はこの徴兵を兵役制度として組織化した制度を指す。これは募兵(志願兵)制度の対義語である。徴兵制において兵役は国民の義務的な負担として扱われ、国防への負担と貢献が求められる。徴兵制は軍隊に対する安定的な人材の確保が長期間に渡って容易であるものの、国民に対する負担は大きい。なお一般的には徴兵制度があっても志願入営は可能である。近年は、韓国や北朝鮮など一部の国家を除いて、殆どの兵役制度がある国家で良心的兵役拒否権が合法的に認められ、介護や医療、救急などの代替役務が制度化されている。
徴兵制度は殆どの場合、徴兵適齢の成人男性が対象となり、さらにその徴兵も兵役の適格性を調査するための徴兵検査を経て、その検査に合格した人材が徴兵される。また、代替役務などの選択肢が用意された徴兵制度は選択徴兵制と呼ばれることもある。
古来より兵役・戦役に応ずる事は市民の権利と密接に関係しており、徴兵制は男性のみに普通選挙権などの特権を与える根拠になってきた。現在では男女平等の観点から特権が廃止される傾向が強く、逆に男性のみに義務が発生することへの不平感があるという意見がある。
徴兵制度は宗教戦争の頃から、市民兵および市民社会の成立と軌を同じくし、18世紀のフランス革命(ジャコバン独裁期)の国家総動員において近代的な徴兵制度が成立した。19世紀にはフランスを模範としてプロイセンでも採用され、兵役制度として確立される。日本では1873年の徴兵令により確立され、イギリスやアメリカでも第一次世界大戦により徴兵制へ移行した。冷戦後では近代的な軍隊の制度に不適切となってきたため廃止または縮小する国が多く、何らかの事情により新たに導入する国はごく少数である。特に冷戦崩壊後にEUやNATOに加盟した東ヨーロッパの元社会主義国は徴兵制を廃止し、志願制に切り替えるケースが多い(チェコ、スロバキア、ハンガリーなど)。ただし戦争などの緊急事態に際しては徴兵を実施する可能性を残している場合もある。
徴兵制度の兵役義務は一般兵役義務と服役待機に分けられ、一般兵役義務は全国民に入営を要求するもの(例:韓国の兵役)であり、服役待機は登録されるものの命令がない限り実際には入営しないもの(例:アメリカのSelective Service System)や、一定期間の一般兵役後にいつでも軍に復帰できるように待機することを義務化されているもの(例:ドイツ)などがある。
[編集] 徴兵制度の歴史
[編集] 古代
国民に兵役を義務として課す制度は、古代にまで遡る。中国では古くから存在し、日本では奈良時代に実施された(防人)。
古代ギリシャの都市国家においては兵役は参政権を有する自由民の義務であった。一方、女性や奴隷などの非自由民には課されなかった。
ローマにおいては資産の多寡により兵役の内容が細分化され、多額の資産を有する者は騎兵、零細市民は安価で間に合う兵装、無資産市民は国家存亡の機を除き兵役の対象から外されていた。その後、マリウスの改革により一般市民の兵役は廃されて志願制となり、職業軍人化が進んだ。これによりローマは地中海世界を制圧する能力を得た。
[編集] 中世
中世のヨーロッパでは、騎士や傭兵を中心とした軍制だった。これは国王など貴族社会を中心とした制度で、国王が地方の領主・貴族の地位を保証する見返りとして軍事力を国王に提供する、あるいは財力によって軍事力を購入するという形式である。これとは別に自由民に兵役義務が課され、戦時に動員されることもあった。傭兵主力の軍隊は戦闘意欲に欠け、戦争を長引かせる原因となった。
中世の日本においても軍事力の中心は武士とその郎党であった。また僧兵も無視できない戦力を誇った。日本においては傭兵は目立つ存在ではないが、それに類する雇われ戦力(例えば海賊の類)は存在した。戦国期に入り戦乱が多発するようになると、農民などが足軽として参戦するようになる。織田信長は周囲と異なり常備軍を主力とすることで、農繁期に左右されることのない軍を作り上げ、勢力拡大に成功した。
さらに豊臣秀吉の刀狩り令により武士と非戦闘民は明確に区別され、これは江戸時代の終わりまで続いた。
[編集] 近世
近世ではスウェーデンが三十年戦争時に徴兵制を採用し、人口の少なさを補い大軍を編成した。ただし、この制度には経済的・心理的負担が大きく、部隊の質が低くなりがちになる欠点があった。そのため結果として国民の離散・国家の荒廃を招くこととなる。プロイセン王国(ドイツ)ではフリードリヒ大王が軍事的拡張主義を採り、人口の4%に当たる常備軍を作ったが、このとき大規模な傭兵を養える財政が無く、志願制では数が満たせなかったために、1733年に徴兵制(カントン制度)を敷いて農民を強制的に軍隊に組み込んだ。この軍は質が悪く士気が低いため、厳罰主義によって規律を保とうとしたが困難であった。
[編集] 近代
いわゆる国民皆兵による徴兵制はフランス革命から始まる。フランス革命以降、国家は王ではなく国民のものであるという建前になったため、戦争に関しても王や騎士など一握りの人間ではなく、主権者たる国民全員が行なう義務があるということになった。そして革命に伴う周辺諸国との戦争で兵員を確保する必要に迫られたため、ナポレオンなどによって国民軍が作られたのである。国民皆兵の制度はヨーロッパ諸国や日本に波及し、第二次大戦後は世界的に波及した。
近代に徴兵制が生み出されたのは、戦争の近代化に伴って兵器の威力が増して(槍と機関銃の死者数の違いを思い起こしていただけると理解しやすい)志願制では人員の補充ができなくなるほど戦死者が多くなったことと、国民主権の原理によって国民を戦場に駆り出す大義名分ができたのが主な理由である。アメリカは南北戦争の激戦によって大量の兵士が死亡し、その欠員を補うために徴兵制が敷かれた。イギリスでも第一次大戦半ばのソンムの戦いなどで多くの戦死者を出し、戦争を継続するために徴兵制を敷いた。
徴兵制度は本国の議会制定法と市民登録(日本では戸籍簿)を基礎に実施されるため、植民地には適用されないのが通例である。植民地で兵員確保を行なうにしても、一定の教育を受けたことや、植民地支配に協力的な民族や部族の成員であることを条件に採用する志願兵制によることが多かった。この点、短期間であるとはいえ植民地住民に徴兵制を実施した日本は異例である。兵役法改正によって1943年に朝鮮人に対して、1944年に台湾人に対して日本内地人と同様の兵役義務が課せられた。ただしこれらの植民地籍徴集兵は、戦争終結のため実際の戦闘に投入されることはなかった。
[編集] 現代
戦争の近代化と兵器の機械化・精密化・自動化の進展は、少人数で高性能の兵器の運用が可能となったことから軍隊の省力化と定員の減少をもたらし、同時に兵器の運用技術の高度化・専門化を招いた。定員の減少によって大量の新兵募集は不必要となり、また1年から3年程度の勤務しかない徴用兵では学習期間の不足により高度化・精密化した兵器の運用に耐えられず、訓練にも費用が掛かり過ぎるなどの理由によって徴兵制度の存在意義は低下した。これを予言した軍人としてはド・ゴールが挙げられる。現代においては再び軍人の専門職化、つまり職業軍人の時代が到来したと言える。西ヨーロッパ諸国では冷戦終了後から2000年代初頭にかけて次々と徴兵制を廃止し、イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ポルトガル・オランダ・ベルギーなどは志願制に移行している。旧社会主義国だったチェコやスロバキア、ハンガリー、ルーマニアもEUやNATOに加盟すると、ほぼ同時に徴兵制を廃止した。
[編集] 徴兵制度の現状
外務省やCIA World Fact Bookの資料によると、現在では軍隊または国防のための武装組織を保有する約170か国のうち約67か国が徴兵制度を採用している。
現在、軍事技術の高度化・専門化により、これらの技術を扱う軍人の専門職化が各国で進んでいる。徴兵制度で確保した兵力は兵役期間である数年(一般に1~2年)のみ軍役に就くため、高度な技術を身につける時間がないので現代戦では役に立たないとの見方が一般的である。また兵士の数で戦況が決まるものでもなくなってきたため、徴兵制度は一部の国を除き廃止する動きが強くなってきている(徴兵制度が維持されている国家でも、良心的兵役拒否権を認めるようになってきている)。そもそも核戦争が想定されていた時代では多数の兵員を動員した総力戦が起こりにくくなっており、冷戦が終結したという環境の変化も大きい。 単純な兵員数で戦況が決まるわけでは無いことは防衛戦においては古くから証明されているが、侵攻作戦などにおいても湾岸戦争やイラク戦争などで実証されつつある[1]。
日本では、内閣法制局が過去に「徴兵・兵役は日本国憲法で禁じる“意に反する苦役”であり違憲である」との見解[2]を示している。
近年、一部の著名人や政治家から徴兵制度を肯定したり、復活を主張する声が出ている。このような徴兵制復活論の多くは、徴兵による教育効果・社会問題解決など、軍事力以外の観点での根拠のはっきりしない推論がまぎれており、少年犯罪などにみられる戦後日本社会におけるモラルの低下の一因を、徴兵制廃止や教育勅語の失効にあると考えている。しかし現代の軍事状況下、前述の国防という本来の存在意義・目的との関係性からは明確に逸脱しており、そもそも軍隊は費用対効果の高い教育機関なのかといった根本的な疑義において、若年層・青年層の社会的徴用や社会参加の問題と徴兵制度を混用して議論している可能性がある。また、自衛隊生活による精神病の発症や、自殺・犯罪などが多く報告されており、教育上逆効果であるとの主張もある。
[編集] 徴兵制度の問題
徴兵制度を採用している一部の国では訓練に莫大な費用がかかるため、軍事政策に関して批判もある。また若い時期に2、3年兵役を課すことによって、その間の学力や技術の向上が妨げられ、若年労働力が奪われ産業に悪影響を及ぼし、国力として損失が出ているとの指摘もある。ドイツでは兵役は若者の学問的向上期間を制約するとの認識もあり、批判が根強い。実際にドイツでは学力低下が著しく、他のヨーロッパ諸国に差を付けられつつある[要出典]。
一般に徴用兵は志願兵より意欲が低く、訓練期間も短いため兵の質が低下する。
また、基本的に兵役の義務が課されているのは男性のみであり、女性に対しては強制されていない(男性に比べて短い期間徴兵されるイスラエルのような例外もある)。かつてはこれが男性のみに参政権等の権利が与えられる根拠となった。
徴兵制度は、かつて給与を抑えられる事から人件費抑制を期待できる側面があった[3]。しかし現代の軍運用や装備状況においては、これは過度な期待と言わざるを得ない。現代では組織が負担する費用は運用費や装備品など給与・人件費以外の費用が多く、よほど徴用兵の給与水準を抑えない限り経費節減の効果は限定的な物でしかない。これは軍の特性として、要員すべての宿舎や衣服や食事の用意、兵器や装備品の充足などが必要となるためであり、事務処理や教育・監督など固定費は変わらないためである。
また一般に民主制国家では、志願制と徴兵制で待遇に大差はない。まず軍の就職先としての魅力は決して低くなく、給与の上昇は抑えられている。国が待遇を保証し、衣食住に不自由がない軍に入隊を希望する若者は少なくない。特に教育費用を捻出できず、キャリアに展望を持てない低所得層にとっては魅力的な存在である。軍や政府でも従軍中に各種技能や資格を取得したり、勤務成績が優秀な者については士官学校への推薦枠を与えて将校への道を開くなどの機会を与え、除隊後も退役軍人向けの奨学金制度や職業訓練などを用意する例が多く、退役軍人会や在郷軍人会などのネットワークを通じ、退役後の生活について援助を得られるように配慮している。逆に徴兵制だからといって給与や待遇を削りすぎると不満につながり、汚職や政情不安の原因になる。特に不満が支持率に影響する民主制国家において顕著である。
国富・国家財政の面からいっても問題は多い。若青年層を網羅的に徴用することで就労上や学究上のキャリアの断絶につながる。直接的には数万単位の若年労働力が労働市場から隔離されることで、労働コストの上昇や生産力の低下を招く可能性がある。また徴用兵に対する国庫負担が生じる一方で、徴用された人が納めるはずだった所得税等が国庫に入らなくなる。(参照:軍事ケインズ主義)
[編集] 徴兵忌避
徴兵を逃れるには国籍の変更、亡命、免除規定の活用、身体毀損や逃亡等の方法があるが、意思的な不服従の立場から徴兵に従わないことを徴兵拒否といい、そのなかでもさらに倫理的・政治的・宗教的な信条に発する徴兵の拒否を良心的兵役忌避という。
一般的に徴兵忌避は、法律の規定によって罰せられることが多く、場合によっては命令不服従、脱走罪、敵前逃亡罪として死刑になる国家もある。しかし現在では良心的兵役忌避を基本的人権の一つとして認め、そのための制度を構築している国も多い(兵役の代替役務として介護、消防活動などに従事することが多い)。
徴兵拒否運動は、ベトナム戦争期のアメリカ若年男性によるものが知られる。政治的な理由、宗教的な理由から徴兵拒否は行われ、ベトナム戦争当時、モハメド・アリはイスラム教の教えに従うとして、徴兵を拒否した。SF作家のウィリアム・ギブスンは、徴兵を拒否してカナダに移住し、しばらくホームレスとして路上生活を経験した。元大統領のビル・クリントンはカナダに留学して徴兵を巧みに回避している。『ベトナム症候群』(著者:松岡完、出版社:中公新書)によると、ベトナム戦争への徴兵に従わなかった者は57万人、うち起訴された者は2万5000人、有罪判決を受けた者は9000人、実際に処罰されたのは3000人となっている。
また、黒人解放運動家のマルコムXは精神異常を装うことで、第二次世界大戦の際に徴兵されるのを逃れた。物理学者のファインマンは兵役につく際に行われた精神鑑定の結果、不採用になった[4]。アインシュタインは「偏平足」の診断を受けて、スイスの兵役を免除されている。
児童文学作家のミヒャエル・エンデは16歳の時、召集令状を破り捨て、ミュンヘンまでシュバルツバルトの森の中を夜間のみ80km歩いて、疎開していた母の所へ逃亡。その後、近所に住むイエズス会の神父の依頼でレジスタンス組織「バイエルン自由行動」の反ナチス運動を手伝い、伝令としてミュンヘンを自転車で駆け回った。
丸谷才一の小説『笹まくら』は、第二次世界大戦における徴兵忌避者が主人公であるが、そのモデルが存在するという[要出典]。画家の山下清は、徴兵検査を逃れるために放浪した。その後21歳の時に知的障害者施設の職員によって滞在先の食堂で発見され、強制的に徴兵検査を受けさせられたが兵役免除となった。
アドルフ・ヒトラーはオーストリアの徴兵義務を拒否し、ミュンヘンで逃亡生活を送ったが、第一次世界大戦の勃発とともにドイツ軍へは積極的に志願した。著書[5]によると、ドイツに対する帰属心が強く、オーストリアのために戦う気はなかったからという。
[編集] 徴兵制施行国・非施行国
[編集] 徴兵制を施行している国家
ドイツ、
スウェーデン、
デンマーク、
オーストリア、
フィンランド、
ノルウェー、
スイス、
ロシア、
大韓民国、
朝鮮民主主義人民共和国、
イスラエル、
トルコ、
中華民国(台湾)、
エジプト、
シンガポール、
ポーランド、
カンボジア、
ベトナム、
タイ、
マレーシア、
中華人民共和国、
アルジェリア[6]、
キューバ、
ギリシャ
- 女子も徴兵の対象としている国家
- 良心的兵役拒否が制度化されている国家
- 志願者だけで定員を充足するため実際には徴兵が行われていない国家
- 兵役の義務があるものの、実質的に徴兵制度が存在しない国家
[編集] 徴兵制を施行していない国家
ニュージーランド、
アイスランド、
インド、
日本、
アメリカ合衆国[8]、
イギリス、
カナダ、
フランス、
イタリア、
スペイン、
ポルトガル、
オランダ、
ベルギー、
サウジアラビア、
ヨルダン、
パキスタン、
バングラデシュ、
アイルランド、
オーストラリア、
赤道ギニア[9]、
アルゼンチン、
コスタリカ[10]、
チェコ、
スロバキア、
ハンガリー[11]、
ニカラグア、
ルーマニア
- 徴兵制を施行したことがない国家
- 軍隊を保有していない国家 (国防を担う警察及び準軍事組織も現在徴兵制を敷いていない)
[編集] 世界各国の兵役制度の概要
[編集] アジア諸国
[編集] 日本
明治以降の徴兵制度の経緯は徴兵令・兵役法を、徴兵の教育などは兵 (日本軍)も参照
1873年に国民皆兵を目指す徴兵令が出され、のち兵役法となった。大日本帝国憲法にも兵役の義務が盛り込まれている。当初は免役率が80%と高く、肉体的に頑強な男性の中からくじ引きによってごく僅かのみ徴兵されていた。しかし不公平感から全国で徴兵反対運動が起こり、そのため徴兵制度は大改正され1889年には法制度上、男性に対して国民皆兵が義務付けられた。その後は徴兵される男性が増加していき、太平洋戦争末期には700万人以上もの根こそぎ徴兵が行われた。第二次世界大戦に敗れた1945年に廃止される。
日本の徴兵制度は戸籍制度を前提にしており、明治6年1月10日法では「一家ノ主人タル者」や家産・家業維持の任に当たる者は兵役の義務から免除されていた[12]。戸籍法の適用を受ける日本国民の男性は、満20歳(1943年からは19歳)の時に受ける徴兵検査によって身体能力別に甲-乙-丙-丁-戊の5種類に分けられた。甲が最も健康に優れ体格が標準である甲種合格とされ、ついで乙種合格、丙種合格の順である。丁は徴兵に不適格な身体である場合、戊は病気療養中に付き翌年に再検査という意味である。戦争が始まると甲から順次徴兵されていった。当初は一番体格が標準的である甲種の国民が抽選で選ばれた場合に、「現役兵」として徴兵されるにとどまっていた。具体的にはおおよそ10人に1人から4人に1人程度であり、これらの兵士が正規の訓練を受けた兵であった。
しかし戦局が激化するにつれ、現役兵としての期間を終えた後の予備役・後備役にあった(元の生活に戻っていた)元兵士の国民も召集令状によって召集された(大戦末期の昭和20年には徴集率は九割を超えた)。この召集令状(召集時に来る命令書)は用紙の色が赤いので(実際はピンク)、「赤紙」と広く国民に呼ばれた。通常、現役での徴兵を「徴集」、予備役・後備役での徴兵を「召集」と呼んで区別されていた(混乱期には区別せずに「徴集」を用いることもあった)。この召集制度が悪用された例として竹槍事件がある。令状が届けられた人は「出征兵士を送る歌」などが流れる中、家族・地区(隣組など)を挙げて送り出された。さらに第二次世界大戦末期になると兵力不足が顕著になり、文科系学生への徴兵(学徒出陣)や熟練工・植民地人の徴兵が行われた。
戦後は陸海軍省の解体にともない軍そのものが消滅し、徴兵制度の根拠となる兵役法は昭和20年11月17日に廃止された。その後警察予備隊(後の自衛隊)が発足したものの、憲法18条に違反する疑義や、国民の戦争アレルギーなどから徴兵制は見送られ、志願制が採用された。それからも徴兵制度に関する議論はしばしば繰り返されたが、制度として採用しようとする表立った動きはなかった。しかし20世紀末から北朝鮮の核武装や中国の軍事的台頭、ロシアの強権化など周辺事情の緊迫化を受け、自衛隊を増強しようとする動きの一環として核武装とともに徴兵制の議論が再び盛んになっている。
徴兵制については、りっぱな国民を作り上げ筋金を入れるための大規模な徴用が必要ではないか、との議論は終戦直後からなされており[13]、また警察予備隊発足当初では7万5千の警察予備隊を持つ金があれば、徴兵制にすれば30万以上の軍隊を持つことができるとの計測があった。だが第二次大戦の戦没者の多くが志願兵ではなく徴集兵であったという事実から、徴兵制度に嫌悪感を示す論調が大勢を占めていた[14]。
現在の自衛隊は完全志願兵制を採用している。 徴兵制の問題点にあるような理由から自衛隊が徴兵制に魅力を感じていないほか、日本国憲法が謳う戦争放棄・奴隷的苦役からの自由と矛盾するとされるからである。 一部の保守系の政治家の中に徴兵制復活の意見も存在しないわけではないが、仮にそれを政策として実行しようとした場合、世論の批判や選挙への影響が懸念されるという政治的なリスクがあるため、政治家の個人的見解として述べられることはあっても、実際の政策課題として国会などで議論されることはあまり多くない。 近年では青少年教育や、愛国心の涵養などの教育的な主旨で徴兵制復活を唱える者[15]があるが、純軍事的見地から本来の徴兵制の意味を逸脱している意見との反論もある。詳細は#徴兵制度の現状を参照。
なお戦時中でも徴兵拒否者はいたとされ、俳優の伴淳三郎は召集令状を受け取っていたのだが、徴兵検査にはきれいに化粧をした女装で出かけていき、その格好を見た検査官が激怒して検査場から追い出され、検査直前に醤油を大量に(一升瓶1本分)飲み、「肝臓病」を装って徴兵を逃れている(一時的に同一症状が出せる)。他にも灯台社の明石順三による徴兵拒否が有名。
[編集] 大韓民国
韓国軍は徴兵制と志願兵制を併用している。徴兵に応じることは、韓国の若い男性達の義務とされている。18歳の男子への徴兵検査によって判定され、1-3級までが現役、4級は補充役・公益勤務、5級は免除・有事時出動、6級が身体異常による完全免除とされている。しかし有力家出身者の兵役回避が社会問題となっており、徐々に身体検査や等級判断が広げられ、時に本来は不適格な者までが入隊を余儀なくされる問題が指摘されている。また軍隊の施設や訓練生活において、体罰やいじめなど1960年代そのままの風習が残り、韓国の若い男性にとって適応が一層困難となっている。さらに、検査の際の問診で半数近くが「人格障害」と診断されたことがあり、受験者が徴兵を嫌がってわざとそのような回答をすることが多いとわかる。 兵士の義務期間は24ヶ月(陸軍、海兵隊)、26ヶ月(海軍)、28ヶ月(空軍)。兵役義務期間に違いがあるが、海軍・空軍には志願しない限り配属されることがない。
以前は男性が就職適齢期に兵役につく場合が多いことから、兵役を終えた男性に限り公務員に就職する際の優遇措置があった。しかしフェミニストが「女性差別だ」と抗議したために、兵役修了者への優遇措置は撤廃された。この措置に対しては撤廃は不当だという男性側からの不満も表明されている。朝鮮日報によるアンケート調査では、回答した韓国の男子学生の46.3%が「大学や韓国社会において男性差別がある」という認識を示している。これは男性のみへの兵役強制(女子は免除)、更には兵役修了者への優遇措置撤廃が背景にある。[16]。
一方で兵役免除の特典を与えられるものもいる。スポーツでめざましい成績を収めたもの(例:オリンピックでメダリスト、サッカーワールドカップでベスト16以上など)、理工系で将来研究員になったり、大手企業に就職などをすることが期待されるなど、学業が特に優秀な場合などが免除される。 また、国外での永住権取得者も免除の対象となる。ただし1年以上の国内滞在などによってこの免除は無くなる。
良心的兵役拒否は認められていない。公益勤務要員、産業技能要員、専門研究要員、義務警察官、戦闘警察官、海洋警察、警備矯導隊、義務消防隊などの軍隊以外での勤務を行うことで2年の兵役を4週間に短縮する制度がある。しかし難関資格が必要だったり選抜試験に合格する必要があるため狭き門であり、現在は約6万人が勤務している。しかしながらこの代替服務制度も段階的に縮小して廃止し、重症の身体障害者を除いてはボランティアの形で服務する社会服務制を導入する予定である(政府、6カ月の兵役短縮案を検討朝鮮日報07年1月9日)。
大学在学中に休学して兵役に就く者が多く、大学受験の浪人が制限されるなどの影響がある。ある俳優が兵役忌避をしていた事が発覚し、罪を不問に付す代わりに即時入営をしたという例がある。
近年は、良心的兵役拒否者が出てきて、裁判で有罪判決を受ける者が増えてきている(参考:大韓民国兵役法)。また、プロ野球などのスポーツ選手や芸能関係者らがあらゆる手段を用いて徴兵逃れをしていたことが近年相次いで発覚し、社会問題化した。彼らに対する批判的意見はもちろん強いが、スポーツや芸能活動にとって、若い時代に長期間軍隊に拘束されることによるマイナス面は非常に大きいため、同情的な意見もある。俳優のペ・ヨンジュンは、目が悪いため免除された。
[編集] 北朝鮮
北朝鮮では、男性に3年から12年の兵役義務が課せられている。以前は13年の兵役期間であったが、2006年に兵役期間が短縮された。この他国と比較して長い兵役は、同国の政治方針である「先軍政治」に基づくものであり、これにより約110万人の兵士数を確保している。全人口に対する兵員の比率は世界トップクラスである(出典:エンカルタ総合大百科2007)。
[編集] シンガポール
シンガポール軍は1971年12月にイギリス軍が撤退した後に結成された。2万人の職業軍人のほか、2年間の徴兵制を男性に対して課している。徴集兵の数は5万5千人に達する。徴兵検査は17歳の時に行われ、進学の場合を除いて延期・猶予は認められていない。ただしシンガポールの「徴兵」は正式には国民役務(National Service)と呼ばれており、軍以外の公的機関(警察や「民間防衛隊」と呼ばれる消防や救急など)を選択することも可能となっている。 2004年6月15日、テオ・チーヒン国防相は、Aレベル(大学入学資格)保持者やディプロマ保持者の徴兵期間を2年半から2年に短縮することを議会で報告した。軍の場合、中等教育終了後に1回目の召集令状が国防省から届くが、本人の意志により高等教育終了後まで入隊延期を申請することができる。高等教育は概して、ジュニア・カレッジ(2年。卒業後、Aレベル保持)、ポリテクニック(Polytechnics。高度な専門技術を身につけ、卒業後、ディプロマを保持)、技術教育研究所及び職業実習に分かれ、各課程終了後に最終的な召集令状が国防省から送付される。召集期間はジュニア・カレッジ及びポリテクニック修了者が2年半、並びにその他の高等教育修了者及び高等教育未満の学歴の者は2年だったが、2004年の改革によって前者の徴兵期間が最大で2年となった。前者の階級は伍長から始まり、成績優秀者は2年半で中尉に昇進するが、更に半年軍と契約することで大尉に昇進する。新兵は3ヶ月の基礎訓練を受け、そこにおいて、射撃、野外工作、サバイバル、カモフラージュの教育が行われる。一部の兵はその後、士官候補生教育またはスペシャリスト教育を受ける。士官候補生コースは9ヶ月、スペシャリスト教育コースは21週ある。残りの大部分は、様々な部隊に配属される。 徴兵期間終了後も、軍勤務希望者は更に10年の契約を行える。その後再契約することができ、将校は45歳、下士官は55歳で定年を迎える。一方、軍に残らず一般社会に戻る者も、将校は50歳、下士官・兵は40歳まで予備役(Operationally Ready National Service)に編入され、年一度の召集に応じなければならず、13年間はIn-Camp Trainingを受けなければならない。更に毎年不定期に、主に電話を使用する「Silent」、又はテレビ、ラジオ等マスメディアを使用する「Open」のいずれかの方法による非常呼集(Mobilisation)がかけられ、対象者は数時間以内に定められた装備を着用して非常呼集司令部に集合しなければならず、正当な理由なく応じなかった者は処罰される(罰金、懲役)。(出典:国防省資料)
[編集] 中華人民共和国
中国は、人民解放軍の所有者は国家ではなく、中国共産党の軍隊ということになっている。現在、人民解放軍の定員は大量に削減がされており、選抜徴兵制ではあるものの、人口大国でもあり貧困層にとっては一つの就職口であることから、志願者が多い。それゆえに募兵年齢の人口数が多く、現在は志願者で定員が満たされており徴兵する必要が殆ど無いため事実上志願制の状態にある。また一人っ子政策は農村では例外が認められている(高等学校 地理Bより)ため建国以来人員は満たされ続けている。中国は人民解放軍の予備戦力として民兵の規定がある。中国の兵役法では義務兵と志願兵を合わせ、民兵と予備役を合わせた兵役制度をとっている。18歳から35歳までの男性で現役で軍に属してない者は形式上、民兵として予備役に就く事になっており、非常時に多数の兵士を動員することが出来る仕組みになっている。
中国の毎年の現役徴集の人数、基準と時期は、国務院と中央軍事委の命令で定められる。各省、自治区、直轄市は、国務院と中央軍事委の徴兵命令に基づき、当該地域の徴兵業務を手配する。平時の徴集は年1回行われる。兵役法によると、毎年12月31日までに満18歳に達した男子は徴集されて現役に服さなければならない。徴集されなかった者は、22歳までは徴集可能とされる。必要に応じ、女子も徴集できる。毎年12月31日までに満18歳に達する男子は、9月30日までに兵役登録をしなければならない。条件に適合する徴集対象公民は、県、自治県、市、市管轄の区の兵役機関の許可を経て、徴集されて現役に服する。徴集すべき公民が一家の生計を維持する唯一の労働力か全日制学校に就学中の学生であるときは、徴集猶予できる。勾留されて捜査、起訴、裁判中か懲役、拘留、監視の判決を受けて服役中の公民は、徴集しない。
民兵は生産から離脱しない大衆武装組織で、中国の武力の重要な一部で、人民解放軍の助手と予備力である。民兵組織は普通民兵組織と基幹民兵組織に分かれる。基幹民兵組織には民兵応急分隊、歩兵分隊、専門技術分隊及び専門分野分隊が設けられている。現在、全国の基幹民兵は1000万に上る。基幹民兵は18~22歳の間に30~40日の軍事訓練に参加し、うち専門技術兵の期間は必要に応じて延長される。民兵の軍事訓練任務は中央軍事委の承認を受け、総参謀部が下部に伝える。民兵の軍事訓練は主に県クラス行政区内の民兵軍事訓練基地で集中的に行われ、一部の省、市には専門技術兵訓練センターや人民武装学校が設けられている。民兵業務は、国務院、中央軍事委が指導する。省軍区(衛戍区、警備区)、軍分区(警備区)及び県、自治県、市、市管轄の区の人民武装部は当該地域の民兵業務を担当する。郷、民族郷、鎮、居住区の人民武装部は当該地域の民兵業務を担当する。企業が国の関係規定に基づいて設置した人民武装部は、職場の民兵業務を担当する。人民武装部を設置していない企業は、専任者を決めて民兵業務処理にあたる。
大学、高校の国防教育は、教室での授業と軍事訓練を合わせることになっている。大学生は男女を問わず、在学中に学内で行われる基礎的軍事訓練を受けなければならない。全軍学生軍事訓練工作弁公室は教育省と共同で全国生徒学生軍事訓練計画を策定した。2003年は、大学1100校と高校1万1500校が生徒・学生の軍事訓練を実施し、800万人が訓練を受けた(出典:2004年中国の国防)。
[編集] 台湾
台湾(中華民国)では、男性に1年2ヶ月の兵役の義務がある。国民党が政権を追われ、民進党が政権を獲得した後制度改正が行われ、良心的兵役拒否権が認められるようになった(代替役を参照)。2007年現在、兵役のスリム化として1年に期限を短縮する計画が進んでいる。
兵役の義務に付く男性は身体検査、学力、学歴、家柄など様々な要素でカテゴリー化(大きく別けて「甲 乙 丙」)される。良いとされる甲に分類された者はくじ引きの時に海軍陸戦隊が追加される。近年では規定も緩和されてきたので、まれに乙の中からも選ばれる。丙に選ばれた者たちには、偏平足や肥満、眼の疾患、脊椎の変形など様々な理由で体力酷使に向かない者が含まれる。彼らは通常の軍隊とは別に、在宅で政府機関や警察機関のサポートとして任務を果たす事になる。
兵種は3種類あり、陸軍、海軍、空軍である。もっとも多いのが陸軍で、続いて海軍、空軍となる。中華民国国軍や中華民国徴兵規則も参照のこと。
[編集] タイ
タイ国籍の男性は、21歳になると徴兵検査を受けることが義務となっている。徴兵検査合格者からくじ引きで実際に兵役に就く者が選ばれる。ただし、士官学校生や一般の学校(マッタヨム 3~6年)に所属し「軍事科(ウィチャー・タハーン)」を受けた者や、身体・精神に障害のある者、体力のない者は徴兵対象外とされている。
タイは男性器を切除したニューハーフと呼ばれる人々が多いが、現在タイの法律では戸籍の性別は変えることが出来ない。そのため、ニューハーフであっても戸籍上の性別が「男性」である限り、徴兵検査や兵役のくじ引きに参加しなければならない。しかし今までは「強く勇敢な兵士になれそうに無く、軍の風紀も乱れる恐れがある」との理由から「精神障害者」ということにして不合格としていた。ところが、『NATION』紙2008年3月20日号によると、最近ゲイ権利団体が軍に「徴兵検査失格証明書に精神障害者であると記載されているために就職やローンの審査で不利になる」と抗議した。それを受けて防衛省徴兵局長のソムキアット将軍が「精神障害者と記載するのはすぐに止め、男でもなく女でもなくニューハーフを差別するのでもない新しい第3の性別名を探してみる」と述べた。「第3の性別名」が決まるまでの間は、徴兵検査を受けるニューハーフは「30日以内に完治しない病気に罹っている」として不合格にすることとなった。さらに「第3の性別名を適用されるためには、3年間連続で彼らが真剣に女性として生きようとしていることを証明するレポートを軍に提出しなければならない」とソムキアット将軍は述べた。ちなみに徴兵検査参加者のうちニューハーフが占める割合は毎年1%未満である。
[編集] マレーシア
2003年より、マハティール前首相の提唱で制定された「国民奉仕制度」が施行された。これは国民の団結を図る目的で「抽選で選ばれた18歳の男女が国防省の管理下で3ヶ月間の共同生活を行う」という内容であり、強制的に国民へ課せられる義務である。
[編集] ベトナム
ベトナム人民軍は1944年12月22日に設立された。徴兵制を採用しており、18-27歳の男子に原則として2年の兵役義務が課されている。主力部隊、地方部隊、民兵の三結合方式を採用している。国家国防安全委員会主席は国家主席が兼任し、首相が副主席である。中越戦争時には正規軍だけで170万人の兵力を有していたが、現在は48万4000人まで兵員が削減された。陸軍41万2000人、海軍4万2000人、空軍3万人である。このほか予備役と民兵が300-400万人。予備役将校の職業はさまざまで、高級官僚や大学教授も少なくない。
[編集] 欧米諸国
[編集] アメリカ
アメリカはベトナム戦争以後徴兵を停止。名簿の作成そのものは継続されている。Selective Service System(選抜徴兵登録制度)と呼ばれる仕組みがあり、アメリカに在住している市民権及び永住権を持つ男性は18歳になった時点で郵便局において登録の義務が課せられている。男性市民は登録しないと処罰(罰金刑)の対象になる他、各種の不利益(政府からの奨学金が受給できない等)が科される。永住者には徴兵拒否権があるが、この場合、アメリカの国籍は取得出来なくなる(本来は連続5年在住で帰化申請資格が出来る。軍歴が出来る事でアメリカへの忠誠を誓ったと見做され、必要滞在歴が2年に短縮される)。ベトナム戦争当時のアメリカでは、ホームレスになる若年男性が大量に現れた。住所不定になれば、召集令状の送付先がなくなるためである。
ベトナム戦争終結以後、徴兵制を復活すべきという主張は連邦議会の非常に少数の議員が提唱しているが、連邦議会の議員と議員への立候補者の大部分も、大統領と大統領への立候補者も、国防総省も、徴兵制の復活は必要ないと繰り返し表明している。徴兵制を復活すべきという主張の理由は、志願兵制では就職先または除隊後の大学奨学金を求めて、経済的に貧しい階層の志願率が高くなるので、経済的階層に関わらず軍務を国民全員に機会平等に配分するという考えに基づく。徴兵制復活を主張する連邦議会議員は2004年に一般的徴兵法案を連邦議会に提出し、下院本会議で採決した結果、賛成2票 - 反対402票で否決され、上院では委員会審議を通過できず本会議での審議・票決には至らなかった。
アメリカ軍の軍人・兵士数は、第二次世界大戦中の1945年度は1,205万人、就業人口に対する比率は18.6%、総人口に対する比率は8.6%。朝鮮戦争中の1952年は363万人、就業人口に対する比率は6.0%、総人口に対する比率は2.3%。ベトナム戦争中の1968年は354万人、就業人口に対する比率は4.6%、総人口に対する比率は1.8%。冷戦末期の1988年は220万人、就業人口に対する比率は1.9%、総人口に対する比率は0.9%。冷戦終結後の1998年は147万人、就業人口に対する比率は1.1%、総人口に対する比率は0.5%。アフガニスタンとイラクで戦争中の2006年は144万人、就業人口に対する比率は1.0%、総人口に対する比率は0.5%である。長期的な時系列で見ると、軍の機械装備率の向上により軍人・兵士・文民のいずれも絶対数が著しく減少し、就業人口と総人口に対する比率は絶対数の減少率よりさらに大きく減少しているので、政府も国防総省も徴兵する動機も必要も無く、2000年代最初の10年間である現在で予測可能な将来の範囲内ではアメリカが徴兵制を採用する可能性は無い。
- 詳細はアメリカの徴兵制の歴史を参照。
- 詳細はアメリカの軍隊・国防総省・軍需産業の雇用者数を参照。
[編集] イギリス
従来、志願制でも必要な兵員を確保できており、第一次世界大戦参戦より1年半後、1916年1月に兵士不足を補うためにイギリス史上初めての徴兵制に踏切ったが、第一次大戦終了と同時に志願制に復旧した。その後第二次世界大戦が勃発した1939年9月、開戦当日に再び徴兵制に踏切った。
1939年の兵役法では18〜40歳の男子、1941年の第二兵役法では17歳8ヶ月〜51歳の在外英国人・在英外国人、および20〜30歳の独身女子[17]に兵役が課された。1942年には男女とも16歳まで引下げられた。イギリスは第二次大戦で独身女性を徴兵した唯一の国である[18]。
第二次大戦後も制度的には継続されていたが、植民地からの撤退により大幅な人員過剰となり、1960年に廃止された。
なお、イギリスは徴兵制を実施していた期間を通じて、宗教的理由以外での良心的兵役拒否が合法的・制度的に認められていた稀有な国家である。[19]
ただし制度化できたのは、軍人が尊敬を受ける一方で兵役拒否者が臆病者として社会的指弾の対象となる風土にあって、拒否申請者が相対的に少ないからである。例えば1939年から1948年の間、第二次世界大戦における300万人以上の動員数に比して、兵役拒否の申請はわずか50分の1程度の62,301名であり、18,495件は却下され、17,231件は後方勤務(農業労働・医学実験対象・看護など)を命ぜられたため、兵役から解放されたのは26,575名に過ぎなかった[20]。