奴隷制
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奴隷制(どれいせい)は、一般に人格を否認され所有の対象として他者に隷属し使役される人間が、身分ないし階級として存在する社会制度。
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[編集] 概要
有史以来あまねく存在したが、時代的・地域的にその現われ方は複雑かつ多様であった。抽象的にいえば生産力発達が他人の剰余労働搾取を可能とした段階以降の現象であり、始原的には共同体間に発生する戦争捕虜、被征服民に対する略奪・身分格下げ、共同体内部の階層分化、成員の処罰や売却、債務不払いなどが供給源であった。
古くから一般に家長権のもとに家族の構成部分として家内労働に使役されたが(家父長制奴隷)、古代ギリシア、古代ローマ、カルタゴや近世のアメリカ大陸などでは、プランテーション、鉱山業などの生産労働に私的、公的に大規模に使役された(労働奴隷)。奴隷制は自前の奴隷補給が困難であったため、古来より戦争による奴隷供給と奴隷商業の発達を不可欠とした。ローマ帝国ではパクス・ロマーナによる戦争奴隷の枯渇により、コロナートゥス(土地移動の自由のない小作制)への移行を余儀なくされた。
マルクスは発展段階構想で、古代ギリシア・古代ローマなどの「古代奴隷制」のほかに、アジア的生産様式を「一般的奴隷制」とした。両段階の土台をなす基本共同体の相違に着目すると、種族共同体内部で全体的に家産制的隷従に陥った後者と、都市共同体から疎外され温情的庇護なしにモノと見なされた前者とに区別することができる。
熱帯・亜熱帯でのゴム・煙草・砂糖などのプランテーション農業や鉱山など、一次産品における労働では、労働者が生産物の直接的消費者とならないため、私有財産を持たない奴隷は効率的であった。しかし、二次産品以降の工場労働者は、製品の消費者となり得るため、賃金労働が進められた。国の工業化が進むと、内需拡大策の一つとして、一次産品の労働者についても賃金労働が推し進められた(大土地所有制は維持される)。また、大土地所有制を否定し、農地改革をすることで農民の収入増を実現し、賃金労働農民を作らない政策を行った国も存在する。
[編集] イスラームと奴隷制
教祖であるムハンマドは奴隷を所有していただけでなく、さらに戦争捕虜の奴隷化と売買、ついでに捕虜として確保したユダヤ人の女性を妾としている。このためイスラム教は奴隷=悪という立場をとらない。ただし奴隷の取り扱いや福祉には規定が存在している。またコーランにも奴隷を解放することは善行であると記されており、また奴隷は温情を持って処遇せねばならないと記されている。また奴隷獲得における規定が存在し、ジハードにおける戦争捕虜(女性を含む)を奴隷とすること、あるいはすでに奴隷であるものを奴隷商人から買い受けることは許されているが、単なる略奪行為の一環としての奴隷獲得は禁止されている。
ただし異教徒に対するジハードであるとの名目で奴隷狩りが頻繁に行われたこともある。イスラームの支配者たちは商人たちが奴隷狩りや誘拐、詐欺などで連行してきたヨーロッパ人やアフリカの黒人を奴隷として使役し、親衛隊や官吏などに利用してきた。彼らの待遇は一般的には周辺地域(アフリカ)の奴隷よりよく、奴隷から司令官や執政官、更には君主の位まで上り詰めたものもいた。しかし奴隷であることには変わりなく、『人間の形をした道具』として差別に苦しんだ。オスマン帝国ではハーレムでの勤務用に去勢される子供もいた。とりわけ女性の奴隷の場合は、他の地域同様性欲処理の道具としてみなされ、性的な虐待を受けることも少なくなかった。
イスラーム諸国での奴隷制の禁止はヨーロッパの植民地化以降のことであった。またトルコ、イラン(ホメイニー革命以前)、イラク、シリア、アルジェリアなどの世俗主義と近代化を標榜する勢力が国権を握った国でいち早く廃止された。また奴隷取引の列強による禁止、およびジハードの事実上の消滅により奴隷獲得手段が消滅し、奴隷そのものが消滅した。ただしイスラムは原理主義的な一面が強いため奴隷がイスラム教にそむくという明確なファトゥアは出ていない。逆にイスラム教における奴隷はヨーロッパ人によって行われた過酷な黒人奴隷の取り扱い方と同一のものではないとの主張が多いが、奴隷貿易の最盛期、ヨーロッパ人に奴隷を狩って売っていたのはイスラム教徒だった。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- F. Engels, Der Ursprung der Familie, des Pricateigentums und des Staats, 1884.
- ジャイルズ・ミルトン 『奴隷になったイギリス人の物語』 仙名紀 訳 アスペクト,2006 ISBN 4-7572-1211-9